コラム【ダルクローズと散歩】④
その4《ダルクローズの家庭環境とペスタロッチ②》
中館栄子
前回より、ダルクローズののお母さんはペスタロッチの活動場所のそばに住んでいたということがわかっていますので、ペスタロッチの教育思想に少なからず影響は受けていると考え、ペスタロッチに焦点を当て、お話を始めました。今回はその2回目です。
〈イヴェルドン学園での活躍〉
再び教育者として活動することになったペスタロッチは、政府の支援を受けながら、自分の新教授法を発展させ、1800年にブルクドルフ城内に学校を設立し、次の年には著書「ゲルトルート児童教育法」を執筆して、メトーデの確立、直観教授による方法を説いています。その方法とは、子供の「直観」に認識させる方法で、実際の物や絵画、写真などを観せたり触れさせたりして興味を引き出し、感覚器官を通じて知識を習得させる、現代においても広く普及している教授方法です。そしてメトーデの目標として、そこには3つの人間の素質である「頭(Head)」「心(Heat)」「手(Hand)」を、調和的に自然的に発達させることが挙げられており、この3つの頭文字をとって3H主義と呼ばれています。頭(Head)…知的教育、心(Heat)…道徳的教育、手(Hand)…技術的または身体的教育、素質に沿った教育を行なうことで、3つの素質が育まれると考えました。また「3つの人間」(著書「探求」の中で)①自然状態の人間②社会的状態の人間③道徳的状態の人間を発展させていく人間教育こそが本来の教育だと述べ、現世代は社会的状態の人間であるから、この社会的状態の人間を道徳的状態の人間にすることが教育であり、これがペスタロッチの教育の目的でした。そして「3つの根本力」(著書「白鳥の歌」の中で)①心情的根本力、②精神的根本力③身体的根本力、この3つの根本力を育てることが人間教育であると述べ、心情力には道徳教育、精神力には知識教育、身体力には技術的教育がそれぞれ必要で、これらを統一する内的な力が「愛」であると言及しています。心情的根本力に必要な道徳教育を中心とすれば、おのずと3つの根本力が育つ人間教育が成り立つと考えたのです。こうして、ペスタロッチは教育者として、また民衆教育の父として、世の中にその名を知られることになります。その後、学校はミュンヘンブッフゼー、イヴェルドンへと移転し、イヴェルドン学園では教員養成学校を併設します。そのようなペスタロッチの評判を聞き、ヨーロッパ各地から参観者も来校しました。その中には、ドイツの哲学者、心理学者、教育学者のヘルバルトもおりました。ヘルバルトの有名な言葉には、「教授の無い教育などというものの存在を認めないし、逆に、教育の無いいかなる教授も認めない」があります。彼の教授法は、弟子によって発展した五段階教授法として明治期の日本にも伝わりました。また、イヴェルドン学園には、フレーベルが通っていたことでも知られています。ドイツの教育学者で「幼児教育の祖」と呼ばれ、その生涯を小学校就学前の子供たちの教育に捧げたことでも有名です。幼稚園を創設し、積み木の原点である「恩物」を考案、製作、そしてそれらの実践を理論的にもまとめました。
日本では、フレーベルに影響をうけた高市次郎が創立したフレーベル館がありますが、「アンパンマン」や「ウォーリーをさがせ」などの絵本が有名で、日本の幼児教育の先駆けとなりました。このように、フレーベルやヘルバルトは、ペスタロッチの思想に影響を受け、後の教育史に大きな影響を与えた人たちです。ペスタロッチに戻りましょう。
ペスタロッチが望んでいたのは、全ての子どもへの教育でしたから、1806年には女子学校を、1813年にはスイス初の聴覚障がい者のための聾唖学校を設立し、1818年には年金を資金にしてイヴェルドンの近くのクランディに彼の長年の夢であった貧民学校を設立しました。しかしこれも、1年足らずでイヴェルドン学園に吸収され、イヴェルドン学園自体も、1825年に閉校してしまいます。その理由は、学園が有名になったことで、中流階級の子供たちが多く集まるようになり、ペスタロッチは民衆教育を行いたいと思うようになったこと、経営能力不足で派閥が生じてしまったこと、などによると言われています。
学校が閉鎖してから、ペスタロッチはノイホーフに戻り、そこでも貧民学校を建てますが、その完成を見ることなく1827年2月17日81歳でその生涯を終えます。ペスタロッチの晩年の総括的な著書に、前述した「白鳥の歌」がありますが、そこでは、人間には3つの根本力があり、道徳的教育が必要であると言及しています。そして、その中に「生活が陶治する」という有名な言葉があります。陶治(とうや)とは、人の性質や能力を円満に育て上げることを指しますので、この言葉は、生活そのものが人間を発達させるということを述べているのです。つまり、人間の諸能力と人格の調和的発達の重要性を強調したこの考えは彼の思想の集大成ということができます。
ここまで読まれて、ダルクローズがリトミック教育の視野を広げた時に取り組んでいく障がい者教育を、ぺスタロッチの時代にすでに始まっていたことに気づかれたと思います。何事もそこから始まったと思いこまずに、その前に遡ることの大切さも学んでいきたいものです。
次回は、いよいよペスタロッチ思想が日本に入ってきたときのお話していきましょう。