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―再び官僚としての教育改革の取り組みと民間教育者として願望を具現化―
澤柳政太郎は大学卒業後すぐに官僚の道に入り、その後学校長を歴任していきますが、その間に教育学者の道も同時に歩み始めており、多くの著書を執筆し、その中に体験からの教育、直観教育を提唱したペスタロッチの教育論についても、実際に教育に携わっている先生方へ問い掛けていたことを前回お話しました。
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―官僚、学校長時代の著書の中のペスタロッチ―
「私は教育界の渡り鳥であった」、これは30余年間教育界で活動を続けた澤柳政太郎自身の言葉です。卒業後は官僚、学校長、大学総長として歴任、その後、自ら小学校を設立して、実験研究を行いながら新教育運動を推進していくのです。今回はその前半「官僚、学校長時代」のことをお話していきましょう。
―長田自身の教育学形成に向けて、ペスタロッチからの影響―
長田は、当初、それほどペスタロッチに関心を寄せてはおりませんでしたが、小学教育に強く関心を寄せるようになり、教育学を実践学と捉え始めた時に、ペスタロッチへの関心は強くなっていきました。
ルソーとフレーベル、ヘルバルトの橋渡しをしたのがペスタロッチであることをこれまでにお話してきましたが、今回から、いよいよペスタロッチの影響を受けた日本人をご紹介していきます。日本の教育界の先駆者の中から、長田新(広島大学名誉教授)、澤柳政太郎(成城小学校創設)、小原國芳(玉川学園創設)の3人を紹介していこうと思います。
さて日本には、いつ頃ペスタロッチ思想が入ってきたのでしょうか。そしてさらに、ぺスタロッチ思想は、私達の日本の教育にどのような影響を与えているのでしょうか。今回は日本の大正自由教育運動を中心にお話していきたいと思います。
前回より、ダルクローズののお母さんはペスタロッチの活動場所のそばに住んでいたということがわかっていますので、ペスタロッチの教育思想に少なからず影響は受けていると考え、ペスタロッチに焦点を当て、お話を始めました。今回はその2回目です。
前回、ヨハン・シュトラウスによって、ウィーンはヨーロッパの文化の中心になったことをお話しました。
古代ギリシャから近代、そして現代、いずれの時代でも音楽の私達への影響は大きいですね。
さて、今回はダルクローズの小さい頃の家庭環境についてお話したいと思います。
ダルクローズは、エミール・ジャック=ダルクローズが正式名ですが、今回はダルクローズと呼んでいきます。そして彼は1865年に誕生します。しかし、誕生した所はスイスではなく、父親の仕事の関係で、一家はオーストリアのウィーンに住んでおりましたので、彼はそのウィーンで誕生しました。今回は彼の誕生とその頃のウィーンについてお話ししていきたいと思います。
本日よりHPに《ダルクローズと散歩》という題目で、ダルクローズからの学びを、ゆっくりと歩きながら連載させていただくことになりました。
どうぞ宜しくお願いいたします。
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