《ムーティと出会えて本当によかったー楽しみな4月の春祭―》
- ゆうこ とうたに
- 3月29日
- 読了時間: 5分
運営メンバーによるブログ、今回は中館栄子先生です。
私は大学に入る半年前まで、音楽を専門に学ぶことは考えていませんでしたが、幼少の時から音楽が聴こえると動いている子供でしたので好きであったことは確かだと思います。戦後間もない時代ですので、音楽表現と言えば学校での合唱がほとんどでした。
高校に入り3年生を送る予餞会のために合唱部で日本の作曲家のオペラを上演することとなり、高1の私も役を演じることになりました。全て、高校生で仕上げていく中で、合唱以外の音楽に対する新たなアンテナが出来始めたのです。
そして次は、イタリアオペラに興味を持ち始め、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」や「ラ・ボエーム」のアリアを歌い始めました。又、それと並行して、音楽の授業では音楽鑑賞が多く、シンフォニーの同じ楽章を何人かの指揮者で聴き比べる鑑賞でした。それが何と面白かったことか、次からはポケットスコアを買って、授業に持ち込み聴いてみました。同じスコアから指揮者によってこんなにも違う音楽表現になるなんて、音楽に対するアンテナが随分増えたのを覚えています。
そんな音楽経験をした高校も、高3の一学期の終わりで進路を決めなくてはならなくなりました。私は数学者になりたかったのですが、当時は女子は文系と押し切られ、次にアンテナが立ち始めていた音楽に進むことにしました。受験まで半年間ピアノを習い、崖っぷちの経験をしてリトミックに滑り込んだのですが、リトミックもなかなか奥が深く、幼いころからの音楽と動きが蘇りました。それと同時に、オペラやオーケストラの専門領域のある大学に入りましたので、事あるごとに、そちらの領域に近づいていきました。それは今でも同じです。
ここでやっとムーティとの出会いのお話に入ります。
ムーティは、今や失われつつあるメソッド・基準に従って、イタリア・オペラの美と深遠さを守り、広めることが使命であると考えている指揮者で、東京・春・音楽祭は彼の想いに共鳴し、2019年から東京でイタリア・オペラ・アカデミーを開催しています。
私は2019年のヴェルディ《リゴレット》の時に参加し、今までのイタリア・オペラが覆りました。この時、多くの参加者も洗礼を受けたと思います。音楽解釈に危機感を持って臨んだムーティの想いが歌い手、オーケストラのメンバーに伝えられていくのです。観客が喜ぶからとスコアにはないオペラにしてしまう音楽や所作を戒めました。それはどういうことなのでしょう。
東京・春・音楽祭実行委員長、鈴木幸一による対談シリーズの中でムーティの音楽に対する信念と情熱がわかりやすく語られていますので、それをご紹介したいと思います。
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『★音楽は私たちを美しい調和へ導いてくれる・・・
人間の気持ちの奥深いところに触れることができるのは、やはり音楽のハーモニーなのだと思います。ハーモニーは社会の調和にも必要ですし、社会の調和を助けてくれてものでもあります。
★聴衆は魂のこもった音を求めている・・・
音楽会に来た2000人の人は2000人が同じ目的を持っていますが、昨今は誰もがすべてを簡単に済ませようとする社会になってきています。若者が目的に向かって邁進するかというと、そうではない若者が多すぎます。コミュニケーションもどんどん失われています。私たち音楽家は、職業として演奏しているわけではないのです。ミッション、つまり使命としてやらなくてはいけない。習慣として演奏するということは、音楽をやるうえで最も大きな敵です。
★イタリア・オペラの教育・・・
(《アイーダ》の練習中の対談だったためアイーダが例に上げられて)第2幕の「凱旋の場」が最高だと思っている人が多いと思いますが、なぜ「凱旋の場」が作られたかというと、それはスエズ運河開通のお祝いの気持ちもあったからでしょうが、この作品は室内楽の要素が強いオペラです。
オーケストラも重厚というよりも、モーツァルトやシューベルトに近い。「凱旋の場」を除けば、2人か3人の対話で成り立っている作品で、ヴェルディの中でも特に洗練された作品と言っていいのです。
イタリアの偉大な演出家ジョルジョ・ストレーレル(1921~1997)と《アイーダ》の上演に向けて準備をしたことがあります。ところが、彼は完成させる前に亡くなり、実現しなかったのですが、彼は「凱旋は音楽に書かれている」と言っていました。「凱旋の場」に象やラクダはいらないのだと。世界中でイタリア・オペラというと、大きな声でもって叫ぶようなイメージがあるでしょう。モーツァルトとかR.シュトラウスとかワーグナーのオペラの演奏では、作曲家に対する尊敬の念が失われていないのに、イタリア・オペラというと、いまだ歌手たちのショーのような観点から見られてしまいます。私は60年もの間、この大変な戦いに挑んでいます。
イタリア・オペラはそうじゃない! ワーグナーのオペラで超高音を待ち望む聴衆がいるかと言えば、誰もいないじゃありませんか。ところがヴェルディというと高音をどうやって出すか、と注目されてしまう。ヴェルディは一度として超高音なんて書いていないわけです。ですから、日本の人たちにもイタリア・オペラの教育をすることに協力願いたいのです。』
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何と謙虚で情熱的なムーティの言葉でしょう。音楽家としての魅力を感じてからは、追っかけのようになっている私ですが、その割には運が悪く、2021年の《マクベス》、2023年の《仮面舞踏会》、2024年の《アッティラ》は都合がつかず逃していますし、昨年暮れのムーティ指揮のウィーンでのジルヴェスターコンサートも抽選でハズレ、ウィーン行を逃しているのです。
今度こそ、今年の春祭はオペラではなくイタリアのオーケストラの作品ですが、初来日(1975年)から50年を飾るアニバーサリーイヤーでもあるようです。本当に楽しみな4月の春祭です。
