《「楽譜を読み解く」ところから演奏へ―2012年「小沢征爾指揮者を語る」を中心にー》
運営メンバーによるブログ、今回は、中館栄子先生です。
《はじめに―「楽譜を見る楽しみ」から「楽譜を読み解く楽しみ」へ》私にとって「楽譜を見る楽しみ」は、小学校低学年の時の讃美歌からでした。
教会の日曜学校で、子供讃美歌の楽譜を見ながら「主我を愛す」を歌っていた時に、メロディーと共に音符の並びがとても美しく感じられたのです。
それ以来、音符の旋律線に興味が出てきました。
それが二部になった楽譜、伴奏のある楽譜とだんだん複雑な楽譜も学校の教科書に出て来て、中学では混声三部、高校では指導教官のいない合唱部に所属していましたが、そこでは混声四部の新らしい楽譜を配り、音の響きをすぐ想像し、初見でまず合わせてみる習慣がありましたので、楽譜の心唱や響きを聴き合うのも楽しみでした。また、音楽の授業の鑑賞では、シンフォニーを聴いていきまたが、それは「3人の指揮者を聴き比べてみましょう。」というものでした。
そこで、私はスコアを見ながら聴いてみたくなり、その次からポケットスコア持参の許可をいただきました。同じスコアから違う解釈の音楽が聴こえてくるではありませんか。
こんな楽しい時間が今までにあったでしょうか。そんなことから、スコアを見るのが面白くなり、「指揮者がどう読み解くのか」ということに興味が湧いてきた高校時代でした。
そして、教員になってから、ダルクローズのことを調べていると、ワーグナーの音楽概念の中にも、〈スコア〉に対する拘りがありまし