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コラム【ダルクローズと散歩】⑧

その8《成城学園の創立者、澤柳政太郎へ影響を与えたペスタロッチ③》

―官僚、学校長時代の著書の中のペスタロッチ―

はじめに

「私は教育界の渡り鳥であった」、これは30余年間教育界で活動を続けた澤柳政太郎自身の言葉です。卒業後は官僚、学校長、大学総長として歴任、その後、自ら小学校を設立して、実験研究を行いながら新教育運動を推進していくのです。今回はその前半「官僚、学校長時代」のことをお話していきましょう。

澤柳政太郎は、幕末の慶応元(1865)年、信州松本で生まれ、神童と餓鬼大将の両面を持ち合わせていた幼年時代だったようです。彼が生まれた1865年と言えば、ダルクローズがウィーンで誕生した年でもあり、そのウィーンでは、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が城壁を取り壊し、リング大通りが開通し近代の幕開けの年として注目されています。日本でも、ヨーロッパやアメリカの近代化の影響を受け、澤柳も日本における近代化の先駆者の一人となり、明治21年7月、24歳で帝国大学文科大学哲学科を卒業し、近代教育制度の確立過程を、身をもって体験していきます。


その澤柳は学生時代に文部省の給費生であったこと、そして教育学の専門家がまだ文部省にはいなかったこと、この2つの理由から、卒業後は文部省に入り、色々な役職を歴任します。しかし、大臣官房図書課勤務の明治25年11月、修身教科書機密漏洩事件が起こり引責辞任に追い込まれます。その後、大学時代の寄宿舎で同室だった清沢満之の勧めで、翌年、京都の大谷尋常中学校長に就任し、浄土真宗大谷派教学部顧問も務め、清沢とともに僧風の刷新に努めていきます。そして、27年9月に同校を真宗第一中学寮に組織を改めた後、澤柳は解職され、翌年2月には群馬県尋常中学校長に就任します。このように、澤柳は卒業後10年程で多くの職歴と並行して『公私学校比較論』『心理学』『仏教道徳十善大意』『倫理書』『読書法』『格氏普通教育学』『格氏特殊教育学』『教育者の精神』、そしてお読みいただいているコラムの中心人物でもある『ぺスタロッチ』を廣澤定中と共編で31歳の時に出版する等、すでに多くの著書を執筆し、教育学者の道も歩み始めているのです。


著書から見える澤柳のペスタロッチ論

まず、群馬尋常中学校長だった1895年に現場の体験から出版した『教育者の精神』では、「教育者皆ペスタロッチたるを得るべし」の章を設けています。さらに廣澤定中と共編で1897年に出版した著書『ぺスタロッチ』においては、ペスタロッチを論ず、幼年、修行時代、生涯の目的、最初の教育事業、スタンツの孤児院、ブルグドルフの公立小學校、ブルグドルフの私立學校、イフェルダン學校 上、其の盛運イフェルダン學校下、其の衰運、晩年の生涯、著作、逸事など、ペスタロッチの年譜に沿って述べられており、それらに考察を加えています。そして後書きから、その判断は読者に任せたいという、あくまでもペスタロッチの教育論から、当時の教育について一緒に考えて頂きたいと問い掛けている書であり、ペスタロッチの教育観に共感した澤柳は日本の教育を改善していく第一歩を、これらの著書を通して踏み出したと言えるのではないでしょうか。 その後、明治30年4月には第二高等学校長に、翌31年7月には第一高等学校長に就任しますが、次に再び文部官僚の時代が到来します。

次回は、再び文部官僚としての取り組みと、成城学園設立を中心とした精力的な実験研究の様子をお話していきます。



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