コラム【ダルクローズと散歩】⑦
その7《日本の教育思想史研究者長田新へ影響を与えたペスタロッチ②》
―長田自身の教育学形成に向けて、ペスタロッチからの影響―
長田は、当初、それほどペスタロッチに関心を寄せてはおりませんでしたが、小学教育に強く関心を寄せるようになり、教育学を実践学と捉え始めた時に、ペスタロッチへの関心は強くなっていきました。
そして、彼はペスタロッチの教育学の特徴を①感性と理性の統一、経験と哲学の一致を根底にした教育論を展開している、②社会改革、初等教育改革の先駆的教育学である、③理論的側面と実践的側面を 合わせ持つ教育論である、と分析、理解していきました。
さて、ここから、今回の長田自身の教育学形成に向けてのペスタロッチからの影響について述べていきます。
まず、長田は、社会改革、教育改革に関心を寄せていました。その二つを合わせ持つ教育論をペスタロッチから学んでいる、と言えるのではないでしょうか。
長田は1919年の論文『産業革命と現今の教育問題』で、「教育の意義は、一般大衆を対象として資本主義社会に適応させることにある。」と言及し、社会状況を見極めた上での教育の必要性を述べています。
また、1920年の論文『近世における個人主義の発展』においても「国家の機能を個人の完成とみる国家思想は個人主義そのものである」とし、そこから近世の個人主義が生まれたと述べていますが、国家と教育の関連については曖昧であったようです。
そこに人間教育の視点からの考えを加えたのがペスタロッチなのです。
この考え方によって、社会改革と教育改革を結びつけて考える方向が生まれたのです。
さらに長田の教育学は、理論と実践両サイドから構成されていますが、この点もペスタロッチの方法論から影響を受けている教育学方法論と言えるのではないでしょうか。
このようなペスタロッチの影響によって、日本社会のファシズム化に立ち向かい、個人を大切にした人間教育、そして科学的視点から教育学を追求、批判していけたことは、日本のこの時期において、大きな意味があったと思われます。
次回は、その8《成城学園の創立者、澤柳政太郎へ影響を与えたペスタロッチ③》を、お話していきたいと思います。
